『兵庫県下のアクセント境界線への疑間と
大胆な(乱暴な)仮説』(1991年、60歳)

髙﨑裕士


◇地理的ファクターと歴史的ファクター
  方言やアクセントの分布が険しい山脈などの地形に支配されることは一般に知られている。例
えば東西方言の境界線は「親知らず子知らず」に始まって日本アルプスに沿って南下している。
これは地理的ファクターが卓越していることを示すものである。ところが、この境界線は木曽御
岳を過ぎるとはっきりしなくなって、言葉によって東は浜松のあたりから西は関ヶ原のあたりま
で大きく東西に揺れ動いている。このことは地理的に開けていて、人の動きが活発であったため
で、戦国時代の武将たちの経略によるところが大きい。つまりは歴史的ファクターの方が卓越し
たと言える。

◇兵庫県下を走る東西アクセント境界線
  兵庫県下にはよく知られているように中国地方の東京式アクセントと京阪式アクセントの境界
練が走っている。おおまかに言えば兵庫県と岡山県の県境を走っているのだが、それとて日本ア
ルプスのような人の往来を一切許さない地理的ファクターだとは思われない。中国山地特有のな
だらかな岡が連なっている程度のものだ。岡山県との境界よりはむしろ播磨と但馬の境の方が険
岨である。ここを大きな言語境界線が走っているのは理にかなっている。で、兵庫・岡山の県境
もそうだが、もっと不思議なのは準京阪アクセント地域と京阪アクセントを分ける境界線が走っ
ているところである。それはおおざっぱには東播と北西播の境と一致する。この場合地理的にア
クセントを違えさせる要素は全くない。同じ河川の流域に属している部分もあって、経済的にも
文化的にも同一地域としか考えられないところを分けて走っている。また歴史的にも東の美濃、
尾張、遠江の場合のような歴史的に大きなファクターは中・近世には考えられない。古代には荘
園、寺社領、御厨(皇室領等)、江戸時代には姫路藩領の他、天領や他藩の飛地など複雑に入り組
んでいたけれども、それは全国各地に共通のことであるし、あまりに細かすぎて大きなアクセン
ト分布の説明には使えない。では、このアクセントの境界線はどういう理由でここを走っている
のだろうか。

◇播磨灘文化圏のこと
  方言の話をしているうちに、問題の北西播に属する地域に住む人からひとつのヒントになる言
葉を聞いた。その人は私の東播磨弁を聞いて、「浜手の言葉やな」と言ったのである。浜手とい
う言葉を聞いた時、私は一瞬、漁師言葉というふうに解した。しかし私の住む高砂でも私たちと
漁師たちとは少し違った話方をする。高砂では私の言葉はむしろ陸(ｵｶ)言葉である。だから私の
言葉に対しての「浜手」という批評にはいくらかの抵抗を感じた。しかし、北西播の人が聞くと
浜手言葉に聞こえるというその事実は事実である。ここで気のつくことがある。高砂あたり、つ
まり東播の言棄と播磨灘の向こう岸の香川県の言葉との間には共通点が非常に多いということで
ある。いや、むしろほとんど変わらないと言ってもよいくらいである。そして、この東播、香川
のどちらもが京阪アクセント圏に属している。海というものを私たちは交通を阻害し、方言の大
きな差を生み出す要素と見がちであるけれども、瀬戸内海のような閉鎖性水域の場合は逆ではな
いか。その中でも播磨灘はこじんまりした形のよい盆のようで、播磨、小豆島、讃岐、淡路島が
まわりを取り囲み、そのどこからでも他の地域を望むことができる。このようなことは山手では
有り得ないことである。おそらくこのようにお互いに見わたすことのできる地域というものは親
しく、通商、通婚し合っていたに違いなく、現に高砂神社の社前にある献燈は海の向こうの琴平
宮に捧げられたものという。そこで、ひとつの仮説として言いたいのは、古来播磨灘文化圏とで
も言うべきものがあって、方言やアクセントを同じくするぐらいに交流していたのではないかと
いうことである。これが北西播の人々から見て言うところの浜手ではないのだろうか。

◇赤穂はなぜのけもの
  上のように考えるとき、ひとつ問題となるのは西播磨の赤穂である。赤穂は準京阪アクセント
圏に属しているが、一方では播磨灘に接する地域、それも製塩という点では讃岐地方や高砂とも
共通点を持つ地域である、この矛盾をどう説明するか。おそらく播磨灘文化圏以上に強カな文化
的紐帯が赤穂をどこかに引き付けたと考えられる。その仮説上の候補地は佐用ではないかと思わ
れるふしがある。古い時代の神社関係の行事の交流などにそれが見られる。また、さらに遡って
播磨風土記の記述から、このアクセント境界線とほぼ一致して古代の政治勢力圏の境界線があっ
たのではないかとの推理が可能となる。播磨一の宮の社殿が北面していることへの説明として表
わされているのだが、いま大胆にその説を述べるなら、朝鮮半島と結び着いた北九州王朝の勢カ
と新興の大和王朝の勢カとが激しくぶつかり合っていたのがこのあたりだというのである、普通、
このような政治的対時は地理的な境界線と一致するものである。ところがこの播磨平野はよほど
の戦略上重要地と見えて、これはいささか神話めいて来るが、あの出雲と大和の勢カ争いの時に
も、まさに国引きの材料になっている。その時も境界線は北西播と東播の間にあったようだ。

◇やはり地理的かつ歴史的背景があった
  以上のように浜手の言葉を一つに結び付けた文化圏、赤穂をその文化圏から引き離したもう一
つの政治圏(これも文化圏と言ってよいが)、このように方言やアクセントをきめる要素を何とよ
べばよいのだろうか。結局はやはり、地理的であり、歴史的であると言うしかないのではないか、
しかもそれが、どちらと分けられないところに特徴があると考えられる。強いて言えば、地理歴
史的ファクターとでも言うか、あるいは別に言葉を立てて文化的ファクターと言うべきであろう
か。方言やアクセントといったものを含む言語自体が文化であるという点からは、この最後の用
語は説明にならないとは思うが。

◇その外側のこと
  兵庫県域内の一見地理的にもまた歴史的にも境界とは見えないところになぜアクセント分布の
境界線が存在するのかということでかなり乱暴な仮説を立てて見たが、木を見て森を見ずの例え
の通り、もっと大きな枠組のほうを無視したままでいた。それは、なぜこの境界線の西、岡山県
との県境とほぼ一致して東西アクセントの西の境界線があるのか、また、なぜ、播魔灘文化圏は
京阪式アクセントの圏域に入っているのかということである。
  それについては、すでに述べた古代の政治的勢力圏ひいては文化圏の考え方をあてはめること
ができるかも知れない。すなわち、播磨灘は大阪湾との繋がりからも大和王朝の政治勢力圏に入
っていたと考えられる。一方播磨の山手から西、特に吉備の国から西は安定した北九州王朝の勢
力圏であったと思われる。その中でよく言われるように吉備が一つの独立したまとまりをなして
いたと考えても別に不都合は生じない。間題は岡山県から西が(あるいは北西播から西が)なぜ東
京式アクセントなのかということである。京都を中心とする円周状のひろがりから説明すること
もできよう。しかし、その場合、方言やアクセ
ントの変化が京都を中心として水の波紋のように静かに順に動いて行ったことになる。そ.
のようなことが実際に有り得るのだろうか。私は疑問に思う。それよりは、東西のアクセ
ントの一致は共通の政治勢カ=文化的背景、朝鮮半島に由来する(例えば新羅、百済など
の)勢力との関係を考えてみてはどうだろうか。
  これは一見、学問的批判にも値いしない暴論であるように見える。ことにアクセント、それも
現在行なわれているアクセントだけで古代日本の政治勢カあるいは文化圏を論じるのはひどすぎ
る。たとえば言語現象はアクセント以外にも数限りなくある。
 「塩味の表現」「家屋の表わし方」「あさっての翌日」「あさっての翌々日」「値段をたず
ねるときの表現」の方言分布のどれを見ても、アクセント分布とは一致しない。そしてそのどれ
もが兵庫県、ことに播磨地方と岡山県とが同じ言葉を用いることを示している。
  私の古代王朝に由来する理論が崩れ去るのはいいとして、こういう指標となる方言の分布とア
クセントの分布がなぜ食い違うのか。このことだけは考えておかねばならぬ。

◇アクセントは固定的、語彙は流動的という仮説
  語彙というものがきわめて流動的であることは、「塩味の表現」等の方言のそれぞれが東西日
本で異なるという大体の傾向はあるとしても、細かい点ではどれひとつも一致した分布をしてい
ないということから言えることであるが、さらに、語というものが生まれ、成熟し、意味を変え、
衰退し、死滅していくこと、それが時間軸だけでなく、空間軸つまり地方・地域で違った生成衰
滅の形をとるということから十分言えることである。
  それに比べて、アクセントの型あるいは趨勢というものは、地域に固着して容易に変化しない
ものではないのか。ちょうど生成文法のそれのように、ある地方の住民全体の集団的無意識とし
てのアクセント・ルールがあって、すべてをそれで律するのではないか。語彙は今述べたように
流動的であって、たとえば新語が入ってきて、それをどう発音するかというとき、例のルールが
働く。その語はその地域のアクセントで話される。外来語にその例を見よ
う、“idea”を東京の人は頭高式にアイデアと発音するが、関西人はアイデアと元の英語に近い
アクセントで言う。外来語は日本語になってしまった外国語だからどんなアクセントでしゃべろ
うと(正しくは標準日本語としての外来語アクセントで) 勝手だが、学生たちが外国語(外来語で
ない) をその地方の集団無意識下のアクセント・ルールで発音しようとするのには手を焼くこと
がある。たとえば高砂地方のごく狭い範囲でのアクセントの趨勢として「アクセントの後方移動」
がある。たとえば、キューリ→キューリといった具合であるが、これが英語に影響してmountain
→  mountainとなる。ひどいのは  arrived が arrivedになる。もちろんストレスアクセントと
ピッチアクセントの違いは完全に無視される。そこで結論として言いたいことは、語嚢はきわめ
て激動的であるから、語彙面での方言分布の相違は余り気にしなくてよいのではないかというこ
とと、それに対して、アクセントは容易に変化せず固着的であるから、その分布は、古い時代か
らの何らかの背景となるもの、すなわち、最初から問題にしている歴史的あるいは文化的ファク
ターの存在を想像させるのではないだろうか。では、それは何か、ということで古代王朝の勢力
分布までさかのぼっていけないのなら、せめて、次の結論だけは出しておきたい。

◇結論
  兵庫県の西部播磨地方には東京式アクセントと京阪式アクセントの分布境界線が走っているが、
地理的に必然性が感じられない。何かわからぬが別の強カなファククーがあってこのような分布
の原因となっていると思われる。その際、他の方言分布、語彙の面での分布傾向と異なっていて
も、アクセントの方を主に見るのが正しいと考えられる。なぜなら語彙は流動的であるがアクセ
ントは地域住民の集団無意織の中に確固として存在しており、きわめて固着的なものだからであ
る。
『兵庫県下のアクセント境界線への疑間と 大胆な(乱暴な)仮説』(1991年、60歳) 髙﨑 裕士

『兵庫県下のアクセント境界線への疑間と
大胆な(乱暴な)仮説』(1991年、60歳)

髙﨑裕士
