説教「主の祈りから・・・・我らを悪より救い出したまえ」

「主の祈りから・・・・我らを悪より救い出したまえ」 ２００６年４月２日「わたしは誇らずにいられません。誇っても無益ですが、主が見せてくださった事と啓示してくださった事について語りましょう。わたしは、キリストに結ばれていた一人の人を知っていますが、その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。わたしはそのような人を知っています。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。彼は楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にしたのです。このような人のことをわたしは誇りましょう。しかし、自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません。仮にわたしが誇る気になったとしても、真実を語るのだから、愚か者にはならないでしょう。だが、誇るまい。わたしのことを見たり、わたしから話を聞いたりする以上に、わたしを過大評価する人がいるかもしれないし、また、あの啓示された事があまりにもすばらしいからです。それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。（コリントの信徒へ手紙二12:1-10）」第一聖日ですので、主の祈りから学びます。今日のところは「我らを試みにあはせず、悪より救ひ出したまへ」です。讃美歌21の93-5を開いてみてください。「日本キリスト教協議会統一訳」では「わたしたちを誘惑から導き出して悪からお救い下さい」、月の最終聖日に用いている「教会音楽祭委員会訳」では「わたしたちを誘惑におちいらせずかえって、悪からお救いください」となっています。古い訳と新しい二つとでは少しニュアンスが違います。古い訳はどちらかというと、試練や迫害からの救出を思わせますが、新しい訳はどちらも自分が誘惑に負けて罪を犯すようなことのないように、というふうに聞こえます。これはどちらが本当なのでしょうか。元になっている聖書はどうでしょうか。新共同訳と口語訳の両方を見てみましょう。マタイ6:13 新共同訳では「わたしたちを誘惑に遭わせず、／悪い者から救ってください。」口語訳では「わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。」となっており、ルカ11:4bは新共同訳では「わたしたちを誘惑に遭わせないでください。」口語訳では「わたしたちを試みに会わせないでください」です。これで見ると、どちらも新共同訳では誘惑、口語訳では試みになっています。聖書翻訳学者はなぜ試みであったものを誘惑にかえたのか、その意図はわかりませんが、聖書全体からこの語の元のギリシャ語 πειρασμοσ (ペイラスモス）の訳され方を見ると、圧倒的に試みまたは試練という訳になっているようです。さらに苦痛、苦悩、難儀という意味もある語です。誘惑という訳はむしろ少数派です。ですから、どうも罪への誘惑という訳語はあまり良くないのではないかと思います。先月、人の負い目を「赦しましたから」なのか「赦します」なのか、学者のように細かいことを考えるのでなく、聖書全体のメッセージ、イエス様の言おうとされたことを信仰的に悟って、そこから判断すべきであると申しました。今回も同じことが言えると思います。その点からも適っていると思われるのは「罪への誘い｣ではなく「苦難、試練、逆境」でありましょう。そういうことからは、「主の祈り」のこの部分は、1880年、明治13年訳の私たちが暗誦している方がよいということになります。前にも紹介したドイツのヘルムート・ティーリケという神学者は第二次世界大戦下の連合軍の空爆下で主の祈りの連続講解説教を行いました。そして彼が住んでいた、シュトゥットガルトが連合軍によって解放された直後にこの部分の説教をしています。私たちドイツ国民を、さらには迫害されていたユダヤ人も、ナチの暴政という苦難から救い出してください、ナチズムという悪しきものから救い出してくださいと、必死に祈っていたそのことが聞かれた瞬間にでした。そこでは、この祈りが単なる個人の日常生活の（もちろんそれも大事ではありますが）個人的な倫理の問題、人のものを貪りたくなるとか、人の悪口を言いたくなるとか、不道徳なことを夢想するとかの、そんな誘惑から逃れさせてくださいというようなことではないと分かります。ナチの暴虐というほどではなくても、私たちの廻りには辛いこと、苦しいことが山のようにあります。こういうものに会わないですむように、そういうものから救い出してくださいという祈りなのです。ティーリケはここで、ドイツの哲学者ニーチェを引き合いに出して、この祈りはニーチェの嘲笑を買う祈りだと言っています。ニーチェは強い人でした。苦しみを神に委ねて救われるというような卑怯なことはすべきでない、苦難を負うことこそ人間の尊厳を全うする道だと考えました。ご存じの山中鹿之助は主の祈りとは正反対の祈りをしました。「我に七難八苦を与え給え」という祈りです。もちろん信仰によって強くされて、いかなる苦難も堪え忍ぶというのは本当です。「艱難汝を玉にす」というのも本当でしょう。しかし人間の現実を考えると、私たちはそんなに強くはない、できることならこの苦難から逃れさせてくださいと祈るのは自然なことです。イエス様でさえ、そのような祈りをしていらっしゃいます。来週は受難週ですが、十字架を前にイエス様はお祈りになりました。マタイ福音書の26章36節から44節、いわゆるゲッセマネの祈りです。そこを読んでみましょう。P53です。｢それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て、『わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい』と言われた。ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。そして、彼らに言われた。『わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。』少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。『父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。』それから、弟子たちのところへ戻って御覧になると、彼らは眠っていたので、ペトロに言われた。『あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。』更に、二度目に向こうへ行って祈られた。『父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように。』再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。そこで、彼らを離れ、また向こうへ行って、三度目も同じ言葉で祈られた。」イエス様は「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」と祈っておられます。これはまさしく「我らを試みにあはせず、悪より救ひ出したまへ」の祈りです。そしてその「試み」は苦難の意味であり、単なる誘惑の意味ではありません。そして、大切なこととして覚えておかなければならないのは「しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」「父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように。」という、あくまで神様の御心が主であるとの但し書き付きだということです。私たちにもこの但し書きは必要です。しかし、先にも言いましたように私たちはそんなに強いものではありません。とてもイエス様と同じようには祈れません。それさえも、取り除いてください、そこから救い出してくださいと祈らざるをえない人間です。イエス様は言われます。「あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。（マタイによる福音書7:9-11）」ですから私たちは、神様に甘えて、何でも祈っていいのです。あらゆる苦難、難儀、面倒、試練から逃れさせてくださいと祈るのは子供の特権です。そのように祈ることを親である神様はむしろ喜んでいらっしゃると確信いたします。さてそうだということになると、あの言葉のもう一つの解釈「誘惑」ということでも同じ事を言っていいのではないか、私たちは様々な道徳的な悪の誘惑に対してきわめて弱い者です。その自覚から、自分の力だけでこれに打ち勝とうとするのでなく、できることなら、そのような誘惑に会わないですむようにしてくださいと祈るのも正しいことでしょう。そして、神様はそのように祈る私たちの祈りをも聞いてくださるお方です。私たちはニーチェではないのです。弱さを自覚している者です。だからこそ神様の強い力を信じてより頼むことができるのです。「我弱きがゆえに強し」（文語訳）なのです。新共同訳では「それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。（コリントの信徒へ手紙二12:10)」言っていることはこうです。自分の弱さを知って神様の前にへりくだる時、人は逆に強くされるということです。かつてどれほど多くの信仰者たちが、自分では弱い者との自覚を持ちながら、どんなに力強い業をなしたか、その例は無数にあります。ユダと同じように主を裏切って、３度までも主を知らないと言って逃げてまわり、自分の弱さに泣いたペトロ、ローマまで行っていてまだ逃げ出そうとして、復活の主にお出会いし、「クオバディスドミネ、主よいずこに行き給う」との問いを発したあのペトロも、最後にはそのローマで殉教の死を遂げてカトリック教会初代教皇と仰がれるにいたったのです。今日テキストとして読んでいただいたところは、一見主の祈りの今回のカ所とは無関係のように思われるかもしれません。しかしよく考えてみると、このような祈りを祈りなさい、あるいは祈っていいのだと言われる背後に、私たち信仰者の在りようの心髄のようなものが潜んでいることが分かります。それをしっかり見据えたのはパウロでした。主の祈り「我らを試みにあはせず、悪より救ひ出したまへ」は、この信仰というものの逆説、パラドックス、パウロの言う「我、弱きがゆえに強し」の不思議を教えてくれるのではないでしょうか。

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